Painters of Passion: Adventures in Color by |
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Kandinsky, Rouault, |
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and Their Contemporaries |
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表現の情熱 |
カンディンスキー、ルオー |
と色の冒険者たち |
抽象絵画の創始者 ヴァシリー・カンディンスキー (1866-1944) と、20 世紀フランス最大の宗教画家 ジョルジュ・ルオー (1871-1958)。
本展は、色とかたちを軸として、カンディンスキー を中心とするドイツ表現主義と ルオー が共鳴するさまを探る初の試みです。 カンディンスキー は、「内的必然性」 に導かれて描き、ルオー もまた彼自身の内なる光に従って描いた画家でした。 彼らと、ドイツ表現主義の画家たち、そして独自の抽象表現を確立する クレー らが挑んだ、色の冒険の軌跡を 3 章に分けてたどります。 国内有数の カンディンスキー や クレー、表現主義絵画のコレクションを誇る宮崎県美術館の作品を中心に、パリの ルオー財団や国内の美術館などから、油彩画を中心に水彩画、版画、デッサン、書籍など、貴重な作品約 130 点が出品されます。 |
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会期: 2017 10/17 [火]〜 12/20 [水] 展覧会は終了しました。
休館日: 水曜日 (ただし、12/6、13、20 は開館) 開館時間: 午前 10時 ― 午後 6時 ※入館は午後 5 時 30 分まで 会場: パナソニック 汐留ミュージアム 東新橋・パナソニック東京汐留ビル 4階 主催:パナソニック 汐留ミュージアム、NHK、NHKプロモーション |
'2017 10_16 「カンデンスキー、ルオーと色の冒険者たち」 プレス内覧会の会場内の風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
「表現への情熱 カンデンスキー、ルオー と色の冒険者たち」 |
彩の共鳴、響き合う色とモティーフ ― 表現主義の画家たち
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「カンデンスキー、ルオーと色の冒険者たち」 展覧会の概要
― 「カンデンスキー、ルオーと色の冒険者たち」図録、PRESS RELEASE、他よりの抜粋文章です ― |
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【本展のみどころ】 |
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【展覧会構成】 |
'2017 10_16 「カンデンスキー、ルオーと色の冒険者たち」プレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
第1章 カンデンスキー、ルオーの交差点 |
・ミュンヘンを拠点に、色彩の響きに満ちた新しい絵画の制作に邁進していた カンディンスキー は、1904 年、パリのサロン・ドートンヌに初めて出品し、以降 1910 年まで出展を続けます。 1906 年にはパリ郊外に長期滞在し、当時 ルオー が館長を務めていたモロー美術館も訪ねています。 一方、ルオー はサロン・ドートンヌを本拠として色彩とフォルムによる独自の表現を探求していましたが、1910 年には、カンディンスキー が会長のミュンヘン新芸術家協会の展覧会で絵画を出品しています。 色彩と向き合うことで旧来の芸術を乗り越えようとした二人の足跡が交錯します。 |
第2章 色の冒険者たちの共鳴 |
・不安や焦りなど個人の精神のありようを色彩や形態に置き換えて表現しようとしたドイツ表現主義の運動は、ドレスデンのグループ 「ブリュッケ」 を端緒として、ミュンヘンの カンディンスキー が新しく始めた 「青騎士」 の活動へと緩やかにまとまりながら展開します。 彼らは、自然回帰的でプリミティブ (原始文明) な表現や、「今ここ」 からは失われた中世や古代などの理想化された光景を表現に取り入れました。 彼らと、人間や事物の外見を超えて本質に迫ろうとした ルオー には、背景となる文化を超えた同時代的な親和性が感じられます。 |
第3章 カンディンスキー、クレー、ルオー ―それぞれの飛翔 |
・やがて カンディンスキー は、現実の事物の外観を飾る役割から解放された色彩が形態と共に響き渡る抽象絵画へと歩みを進めます。 また、1911 年以来 カンディンスキー と交流を深めていた パウル・クレー も彼独特の抽象世界を展開しました。 一方 ルオー は、キリスト教の信仰に根差した独自の絵画を追求し、その晩年の作品からは輝きに満ちた色彩があふれるようです。 彼らはそれぞれに色の冒険に挑み、表現の大きな地平を切り拓きました。 |
表現への情熱 |
カンディンスキー、ルオー |
と色の冒険者たち |
ジョルジュ・ルオー Georges Rouault |
ヴァシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky |
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フランス・パリで生まれ、パリを中心に活動した画家。 父は家具職人だった。 長じてステンドグラス職人に弟子入りするが、画家を志して国立装飾美術学校を経て国立美術学校に入学し、ギュスターヴ・モローの薫陶を受ける。 1903 年のサロン・ドートン設立に参加し、1905 年のフォーヴィスムの登場の際もその一員と目された。 初期には都市の最底辺の人々の悲哀と生命力を描き、やがてキリスト教の信仰に根差した深い精神性を湛えた作品を制作する。 後に 20 世紀最大のフランス人宗教画家と呼ばれ、没した際には画家として初の国葬となった。 |
ロシア・モスクワに生まれた画家・美術理論家。 抽象絵画の創始者の一人であり、ドイツやフランスでも活躍した。 法律と経済学を学んだのち、1896 年に印象派モネの 《積み藁》 に衝撃を受けて画家への転向を決意し、ドイツのミュンヘンに出る。 1901 年、芸術家集団 「ファーランクス」、1909 年 「ミュンヘン新芸術家協会」 などを設立し、1911 年にマルクらと 『青騎士』 年鑑を編纂。 ドイツ表現主義のけん引役の重要な一員として活躍する。 第一次世界大戦の勃発によりロシアに帰国し、革命後のモスクワ大学で教授となったが、1921 年、ドイツのバウハウスの教授となる。 1933 年のバウハウス閉鎖後にフランスのパリ郊外、ヌイイ=シュル=セーヌに住んだ。 |
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「ブリュッケ」 ―20 世紀のヨーロッパ美術は、事物の外的側面の描写に熱中した印象派の盛行に続き、ポスト印象派やセザンヌの登場などを経て、目に見えている事象から見えない事象の表現へと関心の対象を拡大させながら幕を開けた。 特にドイツでは従来から作品に込められた精神性を重く見る傾向があり、自己や対象の 「内なるもの」 の表現が模索されてきた。 その近代的なあらわれの端緒となったのが芸術グループ 「ブリュッケ(橋)」 である。 1905 年、ドレスデンで建築を学んでいたキルヒナーなど若手ドイツ人四名が、既成のアカデミックな権威への反発として新たな芸術グループ 「ブリュッケ」 を結成する。 同じ 1905 年にパリで誕生したフォーヴィスムや、フィンセント・ファン・ゴッホ (1853-1890) らの影響を強く受けている。 |
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「青騎士」 ―ブリュッケと並んでドイツ表現主義を代表する芸術運動が 「青騎士」 の活動である。 カンディンスキー を中心に ガブリエーレ・ミュンター など
アルノルト・シェーンベルクら音楽家も参加した。 「青騎士」 グループの成立以前、1909 年にミュンヘンでカンディンスキーを初代会長として結成されたミュンヘン新芸術家協会の展覧会は、フランスやロシアで活躍する最先端の芸術家を紹介する国際展の側面を有し、特に第
2 回展では ジョルジュ・ルオー の作品を ピカソ らキュビスムやフォーヴィスムの画家たちと共に出品するなど、重要な活動を続けていた。 しかし抽象絵画に邁進する
カンディンスキー は内部の反発を受けて脱退し、盟友 マルク と共に 1911 年暮れ、第 3 回展の開催に合わせて同じ画廊の別室で自分たちの展覧会を開催した。
これが第 1 回 「青騎士」 展である。 またほぼ同じタイミングで著書 「芸術における精神的なもの」 を刊行し、内的必然性について詳細に述べた。 |
お問合せ:03-5777-8600 (NTTハローダイヤル)
パナソニック 汐留ミュージアム 公式HP:http://panasonic.co.jp/es/museum/ 主催:パナソニック 汐留ミュージアム、NHK、NHKプロモーション 後援:在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本、ドイツ連邦共和国大使館、港区教育委員会 特別協力:ジョルジュ・ルオー財団 協力:日本航空 |
参考資料:プレス説明会、「カンデンスキー、ルオーと色の冒険者たち」図録、PRESS RELEASE、他。 |
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